歴史・略年譜

實相寺の由緒

当山は日蓮聖人を開祖とする日蓮宗の寺院で、同県にある総本山身延山久遠寺の直末の寺院であります。 日蓮聖人を身延山に招いた波木井六郎実長(はきいろくろうさねなが)の四代あとの伊豆守実氏(いずのかみさねうじ)が、身延山第五世鏡円阿闍梨日台(きょうえんあじゃりにったい)上人の弟子となり、實相院日應(じっそういんにちおう)と名のりました。日應上人は身延山鏡円坊の第四世を歴任。永和元年(1375)日應上人は、山高村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法印と法義を論じ合いついに論破いたしました。日應上人は法印より寺を譲り受け、この時日蓮宗に改宗して大津山實相寺と称しました。 その後、永禄四年(1561)、川中島の合戦にあたって、武田信玄(1521~1573)は蔦木越前守(つたきえちぜんかみ)を当山第七世日忍上人の元に遣わし武運長久の祈願を命じ、永代祈願所として、一条次郎忠頼の城址を寄進され現在の地に移転しました。 實相寺は元文元年(1735)及び弘化四年(1848)に二度の火災にあい歴史的建造物や寺宝等は残っておりません。『甲斐国志』には、「仏堂、僧堂、番神堂、常唱堂、鐘楼、法蔵、総門等備ハレリ」とあり、多くの伽藍が建立されていた事がわかります。また過去には七面大明神をお祀りする七面堂などもありました。

武田家と蔦木氏

蔦木氏はもとはその姓を知見寺と称し、代々武田家に仕えた名家であります。越前守盛之の代に蔦木氏に改姓しました。 甲斐武田氏の支流である一条氏の子孫の多くは、武川筋(現北杜市)に領地を与えられ甲信国境の防衛にあたっていました。 彼らは、武川衆と号されており、蔦木氏はその中の一族でありました。 武川衆は、その活躍から武田家から大きな信頼を得ていました。 そして武田信玄が、越後の上杉謙信としのぎを削った川中島の戦いでは、武川衆の地位が確固たるものとなりました。 武川衆の多くは、武田に仕えた武将のうち特に評価の高い武田二十四将にもあげられています。

永禄四年(1561)第四次川中島合戦の時、武田信玄は實相寺第七世の日忍上人の法徳を聞きつけ、蔦木越前守盛之を遣わし武運長久の祈願を命じました。 そして武田家の永代祈願所となり庇護を受け、一条忠頼の城址(八石三斗余り)を寄進され、寺を現在の地に移しました。 蔦木越前守盛之は、以来實相寺を菩提寺と定め、その墓は今も實相寺境内地にあります。 廟に刻まれる法名は、「日久」とあるのが盛之、「日宗」とあるのが盛之の子盛常のものです。

實相寺と徳川幕府

信玄が病に倒れ、嫡子の勝頼が当主となり武田家の勢力は衰退していきます。 勝頼は、長篠の戦い(1575)で織田信長に大敗を喫し、甲州征伐(1582)にて没落します。 武田家没落後、武田の家臣であった蔦木氏を含む多くの武川衆は徳川家に仕えました。 また徳川家康は、武田家の領国の統治の方法を手本とし武田遺臣を登用する政策をとりました。 武川衆は、天正壬午の乱(1582)では大きく活躍し、彼らの多くは将軍の旗本となりました。 武川衆の一員であった柳沢吉保が徳川第五代将軍・綱吉に仕え大老にまで出世した事はよく知られています。

實相寺の境内地はもともと武田家支流の一条忠頼の城の跡で、その後は末裔の山高氏が居住していたとされています。 お寺は、山高氏が江戸に移った後、この地に立てられたものです。 以来、實相寺は山高氏とは深い関係にありました。 實相寺の梵鐘に刻まれる「山高荘右衛門尉信之」の名前からもうかがうことができます。 その関係もあり、山高五郎左衛門信保の執りなしで徳川三将軍代家光から十四代将軍家茂に至る九代にわたり将軍朱印状が送られています。 その文章には、「甲州巨摩郡山高村大津山實相寺者修法華三昧之道場也」とあり、法華三昧を修する寺院であった事が分かります。

略年譜

1375年(永和元年) 実相院日応が寺を譲り受ける
1561年(永禄4年) 現在の山梨県北杜市武川町のこの場所に寺院を移転
1735年(元文元年) 寺院が火事にあう
1848年(弘化4年) 寺院が火事にあう
※1922年(大正11年) 神代桜が国指定天然記念物に指定される
※1959年(昭和34年) 神代桜の台風で太枝が折れる
※1984年(昭和59年) 神代桜が保護のため幹の上に屋根がかけられるようになる
※2003年(平成15年) 日本花の会の設計と施工管理の下で、地元の株式会社雲松園が神代桜樹勢回復工事に着手
※2006年(平成18年) 神代桜の保護用の屋根が撤去される
※2008年(平成20年) 神代桜の種を国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に8カ月半滞在させた後に地球へ戻し、無重力状態が発育に与える影響などを調べる実験が行われる(宇宙桜)
※2017年(平成29年) 3月、宇宙桜に成った実を発芽させた2世樹が、岩手県洋野町および福島県楢葉町に贈呈される
※2018年(平成30年) 4月に福島県浪江町および富岡町に贈呈、植樹される
※2019年(平成31年、令和元年) 3月に福島県飯舘村、宮城県名取市に贈呈、植樹される
※神代桜の出来事